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2025[Sat]
08.30

桑名の歴史:第4回 桑名に散った最後の夢—松平定敬と激動の幕末

歴史桑名市

旅人たちが七里の渡しで上陸し、その活気に満ちた街並みを堪能した桑名宿。前回は、この地の繁栄を築いた名将、本多忠勝の偉業について語り合いました。しかし、260年以上にわたる桑名藩の平和と繁栄は、時代の大きなうねりの中で終わりを告げることになります。今回は、桑名藩最後の藩主、松平定敬(さだあき)の物語を通して、激動の幕末と桑名に刻まれた悲しい歴史を紐解いていきましょう。

松平定敬は、会津藩主・松平容保の実弟であり、徳川幕府を支えた重要な人物でした。若干18歳で京都所司代(現在の京都府知事兼警察本部長のような役職)に就任すると、兄の容保が京都守護職を務める中、力を合わせて尊王攘夷運動の取り締まりにあたります。若くして重責を担い、旧幕府軍の重鎮として幕府を支え続けた定敬。しかし、この忠誠心こそが、彼と桑名藩を苦難の道へと導くことになります。

藩主不在の桑名と戊辰戦争の影

1868年(慶応4年)に鳥羽・伏見の戦いが勃発し、戊辰戦争が始まると、旧幕府軍は敗北を重ねます。将軍慶喜や兄の容保とともに江戸へ戻った定敬は、故郷である桑名へ帰ることを許されませんでした。

藩主不在となった桑名藩では、藩内で新政府への恭順を主張する恭順派と、藩主とともに戦うことを主張する佐幕派に意見が二分されます。藩の行く末を神前で占うほど混乱した末に、佐幕派が主導権を握るものの、最終的には恭順派によって桑名城は新政府軍に明け渡されてしまいます。

一方、故郷を追われた定敬は、兄・容保とともに奥羽越列藩同盟の一員として、会津へと戦いの舞台を移します。さらに戦況が悪化すると、彼は榎本武揚らとともに、蝦夷地(現在の北海道)へ渡り、函館の五稜郭へと向かいます。

五稜郭での最後の抵抗と土方歳三との共闘

蝦夷地では、旧幕府軍の残党が集結し、箱館政権(通称:蝦夷共和国)を樹立。定敬は、この新国家の幹部として、新政府軍への最後の抵抗を試みました。この地で彼は、新選組副長として名高い土方歳三らとも行動を共にします。新選組の猛者たちと共に、異国の地で幕府再興の夢を追った定敬と多くの桑名藩士たち。しかし、新政府軍の圧倒的な兵力の前に、その抵抗も長くは続きませんでした。多くの桑名藩士が定敬のために遠い北の大地で命を落とし、土方歳三もまた、五稜郭の激戦の中で戦死しました。松平定敬自身は、五稜郭総攻撃の直前に箱館を脱出し、降伏することになります。

桑名から桑名県へ、時代に翻弄された男の物語

戊辰戦争で敗北した桑名藩は、「朝敵」として厳しい処分を受けました。定敬は明治維新後、東京での謹慎を経て、7年ぶりにようやく桑名への帰郷を許されます。そのとき、故郷の風景は大きく変わっていました。桑名城は新政府によって取り壊され、かつて栄えた城下町も戦火の傷跡が深く残っていました。そして、1871年(明治4年)の廃藩置県によって、桑名藩は桑名県へと姿を変え、松平家による桑名の統治は終わりを告げたのです。

徳川幕府への忠誠心から故郷を追われ、北の大地で最後の夢を追った定敬の人生は、まさに栄枯衰退そのものです。彼の物語は、桑名城跡に建てられた忠魂碑や、ゆかりの寺社にひっそりと残されています。

かつて旅人たちが船で賑わった七里の渡しは、明治時代にその役割を終え、今はその跡地に石碑が静かに残るのみです。時代の変化とともに、多くのものが失われていきましたが、桑名に残る歴史の足跡をたどることで、私たちは激動の時代に生きた人々の息吹を感じることができるでしょう。

シニア向け住宅アドバイザー ライター:添田 浩司

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